00



そもそも人というのは、不確かなものに対して一種の恐怖を覚えるものである。
その恐怖の形を変えたものが「憧れ」や「好奇心」を狩りたてて、行動力を生み出すのだ。

だから今僕が感じている恐怖はきっとその「不確かな何か」に対する未知から来た感情であり、極めて普通の反応だ。

それは一枚の手紙だった。
このご時世に封筒に閉ざされた手紙というのは非常に珍しいのではないだろうか。
しかもご丁寧に漆黒に塗られた封筒の開け口は赤色の蝋で閉じられている。

差出人も宛名も書かれていなかった。ずいぶん不躾な封筒だ。

よくよく見たら蝋の部分に妙な模様が刻まれている。――・・・まるで渦を示すようなそれを、俺は無意識に指でなぞった。
どこかで見たことのあるような、ないような。そんな奇妙な感覚にとらわれながらも、俺は手紙の封を開けようかと戸惑う。

これは、本当に俺宛なのだろうか。
だとしたら、一体誰がこんな気味の悪いものを送りつけたのか。
いや、そもそも切手も何も貼られていない封筒が正規ルートをたどって俺に送られたとは考えにくかった。

それに何より―――・・・怖い。
なぜか指先が震えた。


でも、これは開かなければならないような気がする。
なぜだろうか、封筒を持った手が「早くこれを開かなければ」という焦燥感に駆られているのだ。

まるで自分以外の意志が、自分の体を乗っ取っているかのように。

がくがくと痙攣する俺の指が、乱暴に封筒をこじ開ける。





まず飛び込んできたのは、黒の封筒に似つかわしくない、真っ白な紙だった。
封筒の大きさに対してそれはあまりにも小さく、便せんというよりもそれは紙きれだった。

封を開けた勢いで飛び出した紙切れはゆらゆらと揺れながら冷たいフローリングに滑り落ちる。
その動きを、俺は唯茫然と眼で追った。

落ちた紙には、何も書かれていない。
―――・・・なんだ、やっぱり誰かのいたずらだったんじゃないか。
こんな大層な封筒に入れられたものが、真っ白な紙きれだなんて。

そう思うと、無造作に地面に転がる紙きれが急にくだらないものに思えて、俺は苦笑する。

しかし。
次の瞬間、その苦笑は凍りつく。






ぐにゃり、と紙きれの表面が歪んだ。






白い紙切れに、突然じわりと赤が滲んだのだ。
まるで血のような色が、紙切れの表面に何かを現すかのようにねじれる。

俺はそれを、見ていた。
目が離せなかった。吸い寄せられるように、ただ蠢く赤色を見守る。





『羽化ガ、始マル』
やがて、紙切れの赤色が停止した。 記された文字は、たった六文字。 羽化。 一体何の事だ。 ぐるぐると頭の中で何かが渦巻く。 頭の中がかき回されるような感覚だ。気持ち悪い、気持ち悪い。 「・・・・どういう技術なんだ、コレ・・・・」 やがて俺の口からこぼれ出てきたのは、なんとも間抜けなものだった。 そんな的外れな俺の呟きを残して、あとに残ったのは沈黙。 ―――・・・俺はしばらく、不気味に転がっている紙きれをただ茫然と見つめていることしかできなかった。