ぎぃぎぃ、ぎしぎし。
揺れる、揺れる、揺れる。






00-1






曇天の日は、なぜか気分が晴れないものである。
例にそれず、緑ヶ原 ハツキは窓から外を苦々しげに眺め、ため息をついた。

時刻は放課後。
部活や帰宅に急ぐ生徒たちはとっくに教室から出ていき、ここに残っているのはハツキとその友人だけである。
しんと静まり返った薄暗い教室はいささか不気味ではあるが、それよりもハツキは自分の友人のことが気になっていた。

先ほどから机にかじりつくように姿勢を低くし、彼の利き腕である左手にシャーペンを握りしめせわしなく動かしている小柄な友人に、
ハツキは声をかけるのをためらっていた。
自分から見えるのはその細身な背なかであるのに、どこか鬼気迫るような雰囲気を感じる。
ただでさえ天気が悪くて憂鬱な気分なのに、友人のそんな姿を見てしまえば、さらに気が滅入るのも仕方がなかった。

しかし、このままずっと教室にいるわけにもいかない。
このまま友人を放って一人帰るのも薄情な気がする。
仕方がないので、ハツキは控えめに友人に声をかけた。

「おーいナギ。帰るぞー。」
「ああ。…少し待ってくれ。」

思ったより早く返答があった。
しかし友人――…黒枝 ナギはこちらに振り向こうともしなかった。
声のトーンも、非常に無愛想である。…それはまぁ、ナギの元々の性格のせいでもあるのだが。

それにしても、この男は一体何を、そんなに熱心に書いているのだろうか。気になったハツキは、何となしに彼に問いかけてみた。

「一体何を書いてるんだ?」
「レポートだ。」
「レポート?そんな宿題あったか?」
「いや、授業中に読書をしていたのが先生にバレたので、その罰だ。」

ああ、なるほど。ハツキは心の中で静かに納得した。

ナギは優等生である。
それこそ成績は学年で1,2を争うほどであり、さすがにこれは偏見かもしれないが、黒髪に眼鏡という優等生の神器を兼ねそろえているのだ。
だがその一方で、ナギには一つのことに集中してしまうと周りが見えなくなるという悪癖があった。
気に入った本が見つかれば、それこそ授業中でもなりふり構わず読書にふけるし、
おいしいランチを出す店を見つければ、学校を抜け出してまで食事に出かけるし、
言ってみれば、自分の欲にとても忠実な男なのである。
今回もきっと、そういった理由で授業中に何かやらかして大目玉をくらったのだろう。

「先生って誰に?」
「東屋先生に」
「…」
「そんな顔をするな。失礼だろう。」

ハツキの苦笑いは尤もだ。

東屋先生。通称『オカルトの東屋』。
自身が化学の教師であるにもかかわらず、現実味のない超常現象や心霊現象といったたぐいの話が大好きな先生である。
噂では先生自身もオカルトに関して研究をしているらしい。
授業中も化学とはほとんど関係ない『オカルト話』をすることが多々あり、その所為もあって、生徒たちからは『オカルトの東屋』と呼ばれているのだ。

その先生から押し付けられた課題ならば、当然普通の内容ではないであろう。

「……。ちなみに、題材は?」
「『学校に纏わる超常現象とパラレルワールドとの関連と考察』」
「……。」

案の定だった。
頭痛を覚えて、ハツキは思わず頭を押さえた。
超常現象?パラレルワールド?
その二つが関連しているのか、そもそも考察する意味があるのか。むしろその題材でまともなレポートが書けるのか。
ツッコミたい個所はたくさんあったが、ハツキはその気持ちをぐっとこらえて、絞り出すように言った。

「いや、つっこまない。ぜってぇつっこまないぞ。」
「今の話の何処にツッコミ処があったというんだ?」
「……。」

むしろこの友人にツッコミを入れた方がいいのかもしれない。ハツキはそう思ったが、やはり口を噤むことにした。

「ほら、いいから早く帰るぞ。このままじゃ雨が降ってきそうだ。」
「そう言えば、傘を持ってきていなかったな。分かった。」

ナギは書きかけのレポートの束をごっそりとファイルに押し込み、無造作に学生カバンに突っ込んだ。
……何故レポートなのに黒魔術のような魔方陣が描かれていたのかということも、やはりハツキはつっこまずに黙っておいた。









玄関まで下りてきたときには、既に外は大雨だった。
やはりもっと早くにナギに声をかけるべきだったと、ハツキは今更ながらに後悔する。

「…凄い雨だな。」

ナギがぽつりと呟き、ハツキも同意した。
まるで滝のような雨だ。通り雨かとも思ったが、全くやむ気配もない。
濡れて帰るしかない。

「…全く、憂鬱ったらないぜ。」

一向に太陽が覗きそうにない空を見上げてハツキは吐き捨てた。









その時、

ハツキは、奇妙な音を、聞いた。
地面を殴りつける雨の音の中で、
ノイズの中で、


確かに、その音を聞いた。