『――・・・ああ、いらしてくれたのですね』 振り向く。 揺らぐ。 『私はこんな姿になってしまいました』 ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、 『お慕いしております』 『お慕いしております』 匂い。 声。 『どうか、こちらにおいでくださいませ』 『ああ、』 『―――・・・忌々しい!』 『やめて、やめて、やめて!』 『死んでしまえ!死んでしまえ!』 『汚らわしい!!』 *** 「・・・・おぉう」 明け方のうすぼんやりとした光を感じながら、わたしは目を覚ました。 朝のひんやりとした空気を噛みしめると、ようやく自分が現実に戻ってきたことを実感する。 天井を睨んで、わたしは大きく息を吐いた。 また、か。 そんな言葉を頭の中で吐き捨てながら。 ―――・・・最近、とても悪い夢を見るのだ。 何がどう悪いと言われれば、わたしはそれに答えることが出来ない。なぜなら、内容を覚えていないからだ。 そもそも夢というのはそういうものだろう。どんな夢を見ていたかなんて覚えていることの方が珍しいのだから。 そう、覚えていないのなら支障はない。 けれど、これは少し勝手が違う。 夢の中で、わたしは何らかの『恐怖』を植え付けられている。 恐ろしくて恐ろしくて堪らない何かが、夢の中でわたしを蝕んでいるのだ。 起きた時は、もう汗びっしょりで、動悸も、まるで心臓が壊れてしまうかと思うくらいに早い。 息をするのを忘れていたかのように、胸が、頭が、苦しい。 その時はまだ、夢の内容を覚えているのだ。夢で見聞きしていたものが、網膜に生々しく焼き付いていて、鼓膜を震わせている。 けれど、一呼吸、息を吸いこんで吐くだけで―――その内容はまるで霧のように拡散しておぼろげなものになってしまう。 そして心臓が落ち着いたころには、きれいさっぱり忘れてしまうのだ。 それが不思議でならなかった。先ほどまであれほどに恐れていたことを、忘れてしまえるなんて。 気味が悪い。 それに何より―――・・・恐ろしい。 「―――影城の『咎』に聞いてみたらどうだね」 わたしの父は、言った。 「かげしろ?」 「有名な霊能者の一族でね。昔はここら辺の土地もみんなそのお家様のもんだったらしいんだが・・・」 父上は両手を広げ、やや大げさな動作を交えながら話す。 これは昔からのこの人の癖らしいが、どこか年不相応な幼さを感じてしまうので、わたしは父上のこの癖を見るたびに違和感を覚える。 「今はそれも落ちぶれて息子一人だけで切り盛りしてるみたいでな。」 「父上、激しく胡散臭いのですが、あてになるんでしょうかその話。」 わたしが無表情でまくしたてるように早口で問うと、父上は深く頷いた。 「冗談でも何でもなく、本当に存在するのだよ。『影城家』は。」 「都市伝説か何かですね」 「いい加減父を信じてくれ、冴夜!」 さすがに父上が涙目になり始めたので、わたしは真面目に話を聞くことにした。 「ああ・・・冴夜のそういうところは本当に冴子にそっくりだ・・・」 冴子というのはわたしの母である。 わたしがまだ物心も付かないうちに病気で死んでしまった母。 もちろんわたしは母のことをおぼろげに覚えてはいるものの、ずいぶん昔の記憶なのでやはりはっきりとは覚えていない。 だが母は一言二言話しかけては父を困らせ、豪快に笑っては父を困らせ、力いっぱいどついては父を困らせ、 と、ただひたすらに父を困らせては楽しそうに笑顔を振りまいている女性だったことを覚えている。 要するにろくでもない人だったということだ。 ―――・・・だが同時に、とても幸せそうだった。 ・・・いつまでも母の思い出に浸っている場合ではない。 わたしは気を取り直して父上に尋ねた。 「ところで、『とが』というのは何なんですか?」 「人と妖怪が交わって生まれたもののことだ。」 父上はいつになく真面目に答えてくれた。 「・・・・交わる?どういう意味ですか?」 「さあ、私にもよくわからんが――・・・妖怪の妖力を受けた人、というのが咎と呼ばれることが多いらしい」 「よく分からないなりによく知ってらっしゃいますね父上。」 「ふふん、父を甘く見るでないぞ!」 子どものように胸を張って威張る父に「わぁ、すごいすごい」と拍手を送りながら、わたしは思う。 咎――・・・影城、か。 確かに興味深い。 おまけに、わたしの夢の手がかりがあるかもしれないと来たら、これは行ってみるしかないだろう。 「父上、わたし行ってみます。」 「そうか・・・・。私もついていくぞ!」 「いえ一人で十分です。場所だけ教えてください。」 わたしは父上の同行の申し出を丁重にお断りした。