咎人の宴










「幽霊が出るのです」

娘は震えてわななく唇を必死に動かしてそう言った。「幽霊が、出るのです」



その日は快晴だった。昨日あれほどきれいな満月を拝むことができたのだから当たり前なのかもしれないが、雲ひとつない青空が広がっていた。
そんな晴れ晴れとした天気とは裏腹に、その娘は暗い雰囲気でこの影城家の門をたたいた。

「ご依頼ですか?」

尋ねた幽真に、娘はゆっくりと頷いた。
酷く華奢な町娘の井手達をしている。位はそれほどに高くはないのだろうが、こんな家に一人で来たあたり、度胸はあるようだ。
掃除の行き届いた客間に案内し、座布団を進めると娘は黙ってそれに従い、なりふり構わずいきなり言った。

「幽霊が出るのです」
「・・・・?はぁ、そうなんですか?」

唐突な言葉に意図を読みかねた幽真は首を傾げたが、娘はそれに構わずに続ける。

「本当です!私の住む家の傍の空き屋敷に・・・・出るのです!もう、恐ろしくて恐ろしくて!」
「お、落ち着いてください!ええと、その・・・・貴女は俺に、その幽霊討伐の依頼に来たのですか?」

がたがたと震えだす娘に慌てた幽真だったが、娘が先ほどの言葉に肯定の意を表すと、なるほど、と頭の中で頷く。
仕事、だ。

実のところ、こう言う依頼は初めてではない。むしろこういった錯乱気味の依頼人がこの家に駆け込んでくることは多々ある。
―――ここは駆け込み寺か?そう思っては時折苦笑してしまう。

「謝礼は前払いと後払いで半分ずつ払います!どうか、どうか・・・!くれぐれも、よろしくお願いします!『退治屋』様!!」
「・・・・」

断る理由もないが、やはり、気が引ける。
幽霊とやらが怖いわけではないが、どうも『退治屋』と言われると違和感がある。

「・・・分かりました。その屋敷を調べてみましょう。」

冷静に頷いて見せると、娘ははっと顔を上げる。
『人間』特有のおびえた目をこちらに向ける。
・・・それを不快に思ってしまうのは、仕方ないだろう。幽真はぎこちなく微笑んだ。
もともと人間の身であった自分が、今はこんなにも異質な目で見られることが、腑に落ちなかった。





娘の言っていた幽霊屋敷の場所は、幽真もよく知っている屋敷だった。
廃屋となってずいぶん時間がたってしまった、本当に古びたという言葉がぴったり当てはまる屋敷だ。
幽真がその屋敷を見たのは数か月前だったが、なるほどこうして今一度訪ねてみると、これは『出そう』な雰囲気である。
手入れされることなく荒れたままの庭、埃まみれの廊下、壊れかけの屋根。

「うわぁ・・・これは凄いな、」

普段家事全般を一人で行っている幽真だからこそ、この酷い屋敷の有様にさらに感嘆した。
一日中掃除してもおそらく綺麗にはならないだろう廃屋に腕が鳴らないと言えば嘘になるが、彼の仕事はそれではない。

「まずは、庭から見回るか」

この屋敷に幽霊が出ると聞いた以上、それをどうにかするのが自分の役目だ。
幽真は玄関を素通りし、そのまま庭の方へと歩き出す。・・・酷い荒れように、散策するのもはばかれる。




――・・・ぞぞ、




途端、得体の知れない感覚が幽真を襲う。それはいわゆる勘のようなものだったが、しかし警戒するには十分すぎる。
幽真は手にしていた薙刀を握りなおす。そして一歩、庭に踏み込んだ。




――・・・ぞ、




意識を集中させて、辺りを探る。自分は人間ではないので、こういうことは得意だ。
嫌な雰囲気を持っているこの空間を自分なりにつかもうと意識を研ぎ澄ませる。
だが、屋敷内にも庭にもそれらしき濃い気配はない。幽真は眉をひそめた。
それはあの娘が言った幽霊がいないのではないかという懐疑心からではない。
彼がその存在を探れないということは――・・・

本当に幽霊がいないか、自分では察知できないほど気配を隠すのが巧みである存在がそこにいるか、そのどちらかだからだ。

前者ならいい。自分はこのまま家に帰って、娘の杞憂を諭してやればいいのだ。
しかし後者だった場合、この仕事は梃子摺るか、あるいは手に余る可能性が出てくる。

「・・・何もしないわけにはいかない、か」

幽真はずっと手にしていた薙刀に目を落とす。彼の愛刀でもあるそれは、今はとても頼もしい相棒だ。
伸び放題の草を踏み分けて、歩き出す。茂みのある庭というのも珍しいが、歳月の経過のせいでもあるのだろう。



――・・・がさ、



小さな音が耳についた。

「!」

茂みが多いので、細心の注意を払っても物音がする。それがたとえ何であろうとも、だ。
幽真の注意が一気に茂みに向かう。薙刀は構えないが、警戒心を向ける。




がさ、




いつでも動けるように、足を肩幅程度に開く。背後を取られないように、斜めに構える。
何があってもいいように。それは彼が何度も戦い抜いてきたために出来た習性だ。
じっと、息を殺す。何者の気配も聞き逃さないように。






「誰かお探しか?」
その声は、幽真が注意を向けていた方とはま逆から聞こえた。 つまりそこは庭を一望できる縁側からだ。 反射的に幽真は振り向く。 それは老朽化した柱に寄りかかってこちらを見ていた。 全く色素のないふわふわした髪に、深い青色の眼。淡い水色の着物を着流した男だ。 気だるげな目線と、幽真の警戒した目線が交わる。 「ここは人間の来るところではない」 まるでそこは彼の世界だった。彼の声すべてがその空間を支配し、彼の視線が幽真の足を地に縛り付ける。 男は決してい臨戦態勢ではない。殺気を出しているわけでもない。だが・・・動くことがはばかられる。 「ここに来られるのは妖か、あるいは――・・・それにかかわった者。はたして、お前はどちらかな?」 男は体をこちらに向け、頭を柱に押し付けてだらしなく姿勢を崩した。 「――・・・さぁ、どちらに見える?・・・分かるだろうけど」 幽真は精一杯不敵に笑う。 彼は幼いころ、一人の妖にかかわって以来、『咎』として生きてきた。それを誇るために、彼は自らの背に『咎』の字を背負ったのだ。
『お前は生きろ』
いつだったか、その妖は自分にそう言った。 妖は、自分を救った。だから彼は生きている。それを誇る。 「――・・・なるほど、お前は『咎』か」 男は顔色も変えずに言った。 ――・・・がさ。 茂みが背後で揺れる。だが、彼から目を離す事が出来ない。 「お前は、誰だ?」