この日は誰も依頼者が来なかった。そういう日は珍しくないので特に気に病むこともなく、幽真は縁側でぼんやりと月を見ていた。 腰をおろした幽真の横であの猫が丸まって寝ている。今夜は泊っていくらしい。気まぐれな猫である。 「今日は満月かー」 まるで老人のように茶をすすりながら独り言を呟く。 ひとりで家を切り盛りしてもう随分と経ってしまったからか、時折自分は年不相応なじじ臭さがあると思う。 ―――それにしても。 「・・・・妙に心がざわつくな。」 虫の知らせだろうか、今日一日どこか不可解な不安定な霞が心にかかっているようで気持ち悪い。 秘術を持つ影城家の血を引く幽真はそういう力には長けているのだが、 どうにも彼自身自覚が薄いため、彼にとっては不快なもやもやとした感覚が離れないこの状態が酷く不安だった。 ふいに月を見やると、美しい月が自分を見下ろしている。 「・・・?」 光が陰った。 雲が月を隠したのかと思ったが、そうではない。何かが、月を横切ったのだ。 「鳥、か?」 不意に掠めた影を追おうにも、次の瞬間にはその姿は見えず。 気のせいだったのだろうか?と小首を傾げるが、しかし。 「・・・・・・・・・」 自分の横でつい先ほどまで眠っていたはずのあの聡い猫が目を細めて空を眺めているのだから、気のせいではないのだろう。 闇夜にいるせいか爛々と光る眼が鋭い。幽真はずっと持っていた湯呑を置いて、猫を覗き込む。 「どうかしたか?」 猫はしばし無言で月を見上げ、毛を逆立てた。警戒している。 そんな猫をぽんぽんと撫でてから、「気にするな」と気休めの言葉をかけて、立ちあがる。 夜も更けた。そろそろ寝なければ。 「何か悪いものが来ても、この家には這入れない。・・・警戒しなくても、大丈夫だ。」 いずれにせよ、今の影が『妖怪』ならば、『退治屋』をやっている身分である以上、そのうちに情報が入ってくるであろう。 先ほど言ったようにこの影城家には悪意を持った『妖怪』は這入れない。 それは彼の父が言っていたことなので信憑性は定かではない。 しかし秘術で結界が張ってあるのだと生前の父が楽しそうに語っていたのを思い出した。 「大丈夫・・・・だと思うんだけどなぁ・・・」 「・・・・・・・・・・・」 猫がなおも沈黙を守るので居てもたってもいられず、幽真は「さて寝るか」とわざとらしく切り返して、踵を返す。 するとやれやれとでも言いたげに控えめに、猫が後ろに続く。 「・・・お前は本当によくわからない奴だな。」 振り向いてそう言ってやると、猫が控えめに鳴いて答える。やはりというか、この猫はどこか不思議だ。 まあ三年の付き合いなので、もうそれほど気にすることもないのだが。 幽真は再び歩き出す。 猫はそれに習ってついと進み出て――・・・ふと、立ち止まって月を仰ぎ見た。 ゆらり。 陰る月。 「・・・・・・・・・・・」 猫は沈黙し、ふいと目をそらし、再び歩き出す。 満月の夜、烏の鳴く声が響く。 まるで始まりを、終わりを、告げるように。