影城幽真が『退治屋』を始めて三年が経った。 もともと彼自身が選んだこの職業は、随分と異質な職だったが、彼はそれを気に入っている。 彼が『退治屋』になると決めたのは、『咎』になって八年目の春のことだった。 両親も身寄りもない『咎』である彼が自分自身を養うにはそれしかなかったのだ。 『退治屋』は主に『人間』から呼ばれる言葉である。 それは彼が『妖怪』を表向き『人間』の傍から『退治』しているからであるが、実際はそうではない。 彼の仕事は『人間』に近づこうとする『妖怪』に警告し、人里から離れるように忠告することだ。 勿論言うことを聞かず、『人間』に危害を加える『妖怪』もいる。 その場合、幽真は『咎人』として『妖怪』に立ち向かうのだ。 『人間』でもなく、『妖怪』でもない『咎人』として。 これは『咎』を持つ者にしか出来ぬ事。 それ故に、彼は『退治屋』を辞めようとは思わなかった。 「これが随分と不安定な収入でなかなかどうして世間体的には厳しくてジリ貧なんだけどな・・・」 十二畳の古びた畳が敷き詰められた客間を箒で掃きながらがっくりと項垂れた。 若干十八歳の男としては掃除をしていることも、項垂れていることも珍しい。 が、彼にとってはこれが日常茶飯事である。 両親とも死別し、もともと一人っ子であった幽真は当然ながら、この『退治屋』を一人で切り盛りしていた。 彼は父親が残していってくれた影城家を一人で守っていかねばならなかった。 今はもう女中も誰もいないので掃除も一人でしなければならない。 影城家は衰退している。 長男である幽真としては何とかしてやりたいところなのだが、どうする事も出来ないのが現状である。 とりあえずこの家がまだ原形をとどめていることに拍手を送ってほしいものだ。 「あの天下の影城家も俺で終わりかねぇ」 影城家は『人間』の間でも地位が高く、貴族の血を引く家だった。 それは数少ない霊能者の家系であることも十分に関係していたが、何よりも特殊な『秘術』を所持していることも理由の一つだったのだろう。 その影城家も今では滅びかけている。幽真はそれを惜しいとは思わないが、やはりどこか、寂しいものがある。 「まぁ嘆いてもどうしようもないんだけどな。」 掃き掃除も終わったので、次は廊下の雑巾がけでも、と顔を上げる。 うなだれる時間は終わりだ。どんなことがあっても家の中だけはきれいにしておきたい。 幽真は箒を片手に廊下に出る。 この影城家は過去の名声に反比例して、比較的質素だ。 勿論平民の家と比べれば随分と豪華なのだが、貴族としては小規模と言ってもいいだろう。 それが幽真にとっては救いでもある。もっと豪華な家であったら、掃除で一日を潰してしまう羽目になるからだ。 「って、何か主夫みたい、俺・・・・」 今現在ここで一人暮らしの彼には家事全般が要求されるので、それも仕方ないことではある。 再びがっくりきたところで掃除の手間が省けるわけでもない、彼は落としかけた肩を元に戻して、掃除を再開した。 木桶に水を汲んで、雑巾を浸して絞る。無駄に長い廊下を見やってから雑巾がけを始めた。 薄汚れた雑巾をぼんやりと眺めながら四つん這いで走る。 ふと、思い出す。 自分が『妖怪』と初めて出会った時のことを。 それはどんな姿形をしていたか、今ではぼんやりとしか思い出せなかった。 しかし、己の命が尽きると幼いながらに覚悟をした自分の手を引いてくれた『彼』。 自分は生きてもいいのだと、そう言ってくれた『彼』の面影を今も幽真は追っている。 幼いころの記憶など曖昧でどこか欠けてしまっているが、それでも幽真は『彼』を覚えている。 『あるいは幻か、現か、真か否か。いずれにせよ―――・・・』 いずれにせよ、と。 『彼』は一つ息を呑んで、 『お前はここで死ぬべき者ではない』 そう言って振り返った『彼』の顔はもう思い出せないが、その手はまるで人のように温かかった。 『彼』が『妖怪』だと知ったのはそれから随分後のことだった。 それから幽真の『咎』としての人生が始まったのだ。 「・・・やけに懐かしいことを思い出したな」 やはり疲れているのだろうか。そういえば人は死ぬ時に走馬灯のように今までのことを思い出すのだという。 ・・・・縁起でもない。 汚れた雑巾を洗って、掃除を終える。日はすでに真上を通りこし、昼飯時の時間を通り過ぎたことを幽真は知った。 そろそろ昼飯にすることにしようと、彼は台所に向かう。 台所には、何処から入り込んだのか、大柄な猫が居た。黒と白と茶色が混じった斑柄の猫だ。 「お、今日も来てたのか。」 この猫と幽真は長い付き合いだ。 彼が『退治屋』を始めた三年前から突然姿を現すようになったこの猫は時折こうやって彼の家に這入り込んでは寛いでいく。 この猫を見ると彼は大抵『退治屋』を始めてからの月日しみじみと思い出すのだが、先ほど縁起でもない考えが浮かんでしまった為、今は考えないようにする。 「何か食べてくか?」 包丁とまな板を引っ張り出しながら猫に問うと、鳴き声で返事が返ってきた。この猫はまるで人の言葉を理解しているかのように振舞う。 それも三年の付き合いとなればあまり気にならなくなってきた幽真ではあるが、猫にしては聡い。 まぁこれほど大柄な猫なのだ、年も随分と取っているだろう。ならば賢くても可笑しくはない。年の功という奴だろう。 しかしながら。 今日は良く昔のことを思い出す。それが何を意味するのかわからないが、心のどこかで何かが何かを伝えようとしている。 「・・・・嫌だなぁ、何か悪いことでも起こりそうな気がする」 自分の足元でのんびりじゃれついている猫を見下ろしながら、幽真はひっそりとため息をついた。